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第91回 BIO-ITの理論と実際~平和と健康の警鐘に思う~

~平和と健康の警鐘に思う~

 

2022/11/23
市 村 武 美

はじめに

11/4付、日経新聞夕刊、明日への話題:「湯川秀樹と世界連邦:宇宙物理学者」を拝読、感ずること、そして思い出すことがあまりにも多く、キーを叩いております。ウクライナの戦火が続き、世界終末時計は100秒前です。多様なウイルス特に新型コロナが多くの命を奪っています。

 

1.戦中戦後の思いで

昭和18年3月久保貞次郎氏主催の美術展覧会が久保講堂(真岡小学校講堂)で開かれました。久保氏は小此木新三郎氏(久保氏の実弟、西洋歴史学者)徳田球一党首や洋画家など自由思想・反戦者の官憲迫害から目をそらす疎開の世話と在郷軍人監視下の軍事工場を運営しておりました。

中学1年生になった私は恩師平沢八郎先生(小学校3年間の先生、中学進学と同時に先生も県立真岡中学校物理教諭)につれられて鑑賞、会場で武谷三男先生(湯川博士の研究の先達)にお会いしました。その夜、久保邸の食事会があり、在郷軍人ほか数人招待者がおり、恩師平沢先生につれられて御馳走になりました。初めてのチーズはやっと飲み込むことができました。

子供は一人だけ、その理由は久保氏と恩師の深い関係、さらに父(井戸ポンプ職人)が第2工場長(工場には水の安定確保が不可欠)であったためでしょうか。閉会間際に在郷軍人を24時間操業中の工場へ帰したあと、武谷先生の言葉、展覧会のために「太平洋戦争の渦中にて」を聞きました。


人間の理性わ、

如何なる困難に関しても、

必ずそれを貫く道を見いだすものです。

いま現実わ

私の心を悲しませていますが、

人間の人間に対する愛が、

人間のすぐれた理性を勇気づけて、

必ずすばらしい道を、

切り拓くでしよを

:パソコンで探索


反戦と言う言葉は使っていないのですが、真意は反戦、反ファシズムの詩です。この走り書きを頂いたのです。私の宝物です。

これから2年後、昭和20年6月12日夜、宇都宮市を襲うB29群が飛来、なぜか真岡のごくほんの一部が油脂焼夷弾空爆を受けました。わが家は全焼しすべてを失い、宝物も失いました。軍需工場は被災なく、父は勤務中でした。母、祖母と妹を連れて裏の田圃から山林に非難しました。その時、右足の甲に棘が刺さったようです。夜明けともにくすぶる焼け跡に一人戻りました。父が遺体になっていないかを探索中でした。父は、皆は、私、ウンで通じ、よく守ったと父の涙でした。13日、父は工場へ戻り、家族は4キロほど離れた父の実家に避難しました。2週間ほど後に、足の傷が腫れて震いが出るようになり、徒歩で工場宿直室へ行きました。

医師は破傷風、薬剤はなく命の危機にかかわると診断されたそうです。数日後、久保氏が薬剤をもって現れ、看護婦に注射されました。北里柴三郎博士が破傷風ワクチンを開発したのは1889年、ワクチン・ドキソイトが発売されたのは1959年からです。あの時の注射はドキソイトであろうと推察しています。急速に病状が改善、小此木氏は命の恩人です。この傷痕はいまでも残っています。

昭和20年8月、広島、長崎の新型爆弾は核分裂では感じていました。2年前の久保氏宅会合で、武谷先生の原子の話があると理科学辞典で核を調べていたからです。8月15日、工場で玉音を聞きました。久保氏、小此木氏は、僕らの時代が来たと歓喜していました。私は、敗戦は当然であり、自由を喜ぶ青年になっていたのです。

昭和21年、中学4年生になり、学校の成績は中の上ほど、生徒自治会を設立、会長になりました。校長教頭先生の軍国主義から自由主義主張への急変換に反感を抱くようになりました。

4年生で旧制中学卒業ができ、新制度が発足しました。5年生に進級、午後の微熱を苦にしながら自治会活動、美術部活動に励み、旧制高校受験には失敗しました。新制高校3年生になり、成績は最上位クラスでした。校長との対話のとき、アカとつきあうなの一言から校長排斥運動に走りました。アカとは平沢先生です。卒業前の1月、GHQ宇都宮に連行され排斥運動をやめるよう説諭されました。帰校後、無期停学処分も受け、進学適性検査に参加出来なくなりました。

国公立大学受験の道が閉ざされたのです。私学は経済的に無理で、中学代用教員の資格を取り、七井村(現在、益子町に併合)立中学校に奉職しました。恩師平沢先生が校長で、お呼び頂いたのです。英語と理科と数学の進学希望組25名程の3年生だけの授業です。生徒の氏名を覚えること、英語はレッスンごとに暗記し、教科書を手にしない授業に努めました。英和辞書も持たせ、虎の巻(アンチョコ)も使用禁止をこころみました。日曜も特別授業をして、自分の勉強をすることができず、自信がなく、競争率の低い農学部を受験しました。東北大学に合格電報を久保講堂講演の観客席で受けました。講演は前進座の「ベニスの商人」と記憶しています。

理科と数学の教科書を12月25日で学習が終えました。そして、依願退職しました。それから大学受験勉強再開ですが後日、平沢先生宅で、七井中学進学希望者全員が真岡高校、真岡子高校合格という校史に残る成果と併せてお祝い会がありました。

 

2.大学時代

1494年4月レッドパージ(アカ狩)が始まりました。GHQは民間情報教育局高等教育顧問イールズを先兵として大学に対してレッドパージを迫りました。

1950年5月2日、東北大学におけるイールズの反共講演を流会に追い込んだイールズ事件が起こりました。学問の自由と大学の自治の侵害に猛烈反発の学生デモに、微熱になやむ私も参加しました。警官に追い込まれましたが寮に逃げることができました。しかし、学生14名が退学を含む処分を受けたのです。抗酸菌研究所付属病院で結核と診断され、薬の副作用でストマイ聾(つんぼ)の恐怖と食欲減退に苦悩しながらの寮生活でした。

昭和26年(1951年)10月7日、死に向かっている気分を少しでも癒そうと、学友2人を誘い、東北大学植物園八甲田山分園、 奥入瀬渓流十和田湖巡りの無銭旅行をしました。湖畔の窯場で宿泊と湯呑み茶碗つくりの好意を受けました。失った宝物、武谷先生の詩を思い起こすのに苦労しました。人間の理性から3行目までは失念、「いま現実は」から書きした。新しい再生の宝物が再生し、生きる希望に力づけられました。

大学3年、水産学科に進級、水産資源学・水族生態学の口座を選び、サンマの食性研究をしました。大学院前期修士課程は仙台湾のカレイ類・ヒラメ食性研究でした。大学院後期博士過程の3~4年は大洋漁業のサケマス母船に乗船し生態調査を、下船後は他社の採集した鱗(水産庁の依頼供)も含めた顕微鏡調査(於、余市の北海道区水産研究所)を行いました。鱗調査から系統群・回遊経路などを探る研究です。

当時、母船の操業海域は自由ですが、制限漁獲量があり、収益性の高いベニザケをねらった操業を各社が競っていました。中にはせっかく漁獲したマスを放棄するとういう母船もあったそうです。ベニザケ漁場を探す熾烈な競争で、鱗調査はベニザケの系統毎の回遊経路推察に寄与しました。アリューシャン列島を越えてベーリング海にいち早く転船するなど、大学院後期4年のベニザケねらいに大きく貢献できました。

この年も鱗調査を継続し、ベニザケ、シロザケ ギンザケ、マス、キングサーモンの時期別漁場形成図を作成しました。しかし、水産庁は成果の公表、そして、大学院の研究成果報告も禁止されました。母船の海域自由操業が国際問題になっていて、日本に不利な資料だったのです。国の威信で卒論博士課程の卒論研究が宙に舞ったのです。

なお、1956年、サケマス調査で生殖巣の奇形(左右が精巣と卵巣や、生殖巣上半と下半が精巣と卵巣など)を10数個採集しホルマリンで固定し大学に持ち帰りました。その6年後の1962年、米国五大湖の化学汚染による野生生物の性の錯乱を取り上げた「沈黙の春:レイチェル・カーソン著」が出ました。ダイオキシンなどによる環境ホルモンのヒトへの影響などが分かり世界を揺るがせました。

1958年、日本、米国、カナダ、ソ連のオットセイ合同調査が始まり、修士以上の学位と太平洋の生態調査歴がある研究者の参加が義務づけされました。日本では私だけでした。大学院在学も、奨学金受給もそのままで、報酬を戴くという条件でした。北太平洋の生態系調査に食性段階トップのオットセイを加えられ、願ってもないことでした。

ながながと思い出を書いてしまいました。これまで妻子にも話さなかったことを書き残すことでき、終活の一つになりました。

 

3.社会人時代

会社勤務の内容は研究開発職と事業職をごった交ぜしたような仕事でした。生命と水の研究を続けました。その活動概要については、拙著「BSE凶悪ウイルスに勝つ~新技術バイオーITとは~、および凶悪ウイルスに勝つ~BIO-IT〜」記載しています。

 

4.第2の人生

1)ウイルスに挑戦

(1)ウイルスの脅威

核戦争につながる最大の危機が迫り、90年ほど前の武谷先生の詩が改めて胸に迫ります。核以外の人類絶滅起因は天体の地球衝突でしょうか。現代科学は予測し、回避することができるのでしょうか。次いで、人類絶滅までにならないまでも、社会経済システムを崩壊し、太古から築き上げた文化文明継承の危機が始まっています。ウイルスの頻発活性化です。これまでに起こった感染流行は長年続くことがないのです。

しかし、インフルエンザウイルス(以下インフルという)は定期的に流行する季節インフルに進化しました。新型コロナウイルス(以下、コロナという)の流行は3年間も続き、現在、第8波が始まっています。いつ終息するのか分からない波状パンデミックを起し、世界の社会経済におおきな影響を及ぼし続けています。画期的なmRNAワクチンもコロナの力に及ばないのです。それにヒトのインフルとの同時流行 (ツインデミック) が懸念されています。現在流行中のコロナとインフルの感染死亡率を対比してみました。ウイルス学者が案じているのは、強病原性をもったウイルスの進化です。近年に起こった、その事例です。

中国の養鶏従事者のトリインフルH5N1亜種の感染実態 (2003~2016) は856名、死亡者452名、死亡率53%です。H7N9亜型 (2013~2017)は感染者1565名、死亡者612名、死亡率39%です。養鶏事業者の重度ウイルス接触により体内侵入によるもので、コロナと比較しても驚異的な死亡率です。その後、中国は発表していませんので、沈静したのかどうかも不明です。

しかしながら、H5N1亜型とH7N9亜型はブタインフルH1NI亜型のように種の壁を乗り越えてヒト型へ変わる兆しがみえると研究報告があります。ブタインフルは、トリの体温 → やや低い豚の体温に適応 → より低いヒトの体温に適応したのです。40~50%という超致死率のインフルが出現すると、世界はカウスの状態どころか完全な社会経済果糖道の閉塞に落ち込まれることが必然です。現在、コロナ対策に右往左往している現実です。

トリインフルのヒト型の脅威に対処できる方策は軟弱です。ヒト型化していない上記トリワクチンを備蓄していますが、保存期間と有効性と保存期間の問題を抱えています。ヒト型が出現してから始まるワクチン製造ですので、ドロナワ対応です。さらに、コロナもインフルのような強病原性に変異する可能性は否定できません。ウイルスの変異に応じたワクチンと抗ウイルス薬 (治療薬) の開発競争で人類は勝ち目を見いだせないとウイルス学者は警戒を高めているのです。

武谷先生の詩の、理性は知性に通じるものです。人類の知性 (理性) は、如何なる困難に面しても、必ずそれを貫く道を見いだすものです。新しい抜本的なウイルス対応策を、世界のどこかで、誰かが必ず起すと信じています。

 

(2)コロナを制圧

2021/8、弊法人の役員の家族がコロナに感染発症、薬剤を一切使用しない「BIO-IT処置:資料参照」の要請を受けました。少年2名の処置の成果は即効的で、1週間後のPCR検査陰性、登校許可がおりました(添付資料)。

私自身が2021/12、コロナ感染、続いて2022/4、妻と私の2回目の感染がありBIO-IT処置を行い(資料参照)、また、遠隔地居住の孫2名の処置も行い成果をあげました。

1997年、薬剤無使用、情報処置によるバキュロウイルス感染クルマエビの生存率向上に成功しました。以降、ヒトのウイルス感染症、イボ、帯状疱疹、エイズ、インフルなどの感染修復に成功しています。BIO-IT処置とは何かという堅苦しい説明は行わないことにしています。以降をお読み頂ければご理解されると思います。

 

(3)抗ウイルス実験研究の推移

人工細胞内水(当時は人工生体水と呼称:資料参照)は植物の病原性細菌の活動を制御することから、1993年、バキュロウイルス感染エビの制御の実験研究を始めました。しかし、制御力に限界があり、期待する効果は得られませんでした。人工細胞内水の記憶機能を生かすことに着目、1995年、N極、S極が相対立する2個の永久磁石(磁気デバイスという)を使って、 人工細胞内水の改善研究を始めました。

磁極間に患部と記憶媒体(メモリーシート:映画フイルムに人工細胞内水処理)および人工細胞内水をセット、患部と人工細胞内水をリセットし、患部に外磁場照射しました。1996年1月、筋ジスで歩立歩行不能者の改善に成功、8月には歩行不能の若年性リウマチの改善にも成功しました。

1997年7月、ビブリオ菌に増殖制御に成功しました。特定の外磁場にコロニー形成がゼロの場があり、「反転場」と名付けました。反転場に人工細胞内水をセットした人工細胞内水もコロニー形成を同様に制御しました。上述のように、1997年、バキュロウイルスの活性制御に初めて成功したのです。

 

(4)新技術の本質

ウイルス病は情報病であり、情報病には情報で対処するという考え方です。ウイルスに襲われたある種の細菌はウイルスの遺伝子を酵素で切断分離して抵抗します。原核生物において発見された獲得免疫の機構をCRISTER / Casシステムといいます。このシステムのうち、RNA依存性ヌクレアーゼとして発見されたCas9はゲノム編集を初めとするさまざまな新技術に応用され、生命科学を一変させました。インフルやコロナの治療薬は酵素という情報を使ったものです。酵素を産生するのは遺伝子です。

ウイルス感染症は長年永続することがなく3~5年で、終息する理由はわかっていません。終息するのは、ウイルスが酵素産生を停止または低減するためで、ワールドワイドに存在するウイルスが一斉に、自身の遺伝子操の操作によるという仮説を立てています。このウイルスをセットした磁気装置の反転場にセットした人工細胞内水は、遺伝子機能そのものを記憶したと推察しています。

《傍証例》けい髄損傷させたマウスはミクログリアにより神経伝達を阻害します。ニューロ D1 という遺伝子を導入するとミクログリアが神経細胞になり脳からの信号が繋がり、痕跡化した幹細胞を賦活させたという研究があります。その後運動機能の回復までは不明です(2019年、九州大学)

交通事故でけい髓不全損1年後に、反転場処理人工細胞内水を投与、即効的な改善が起り、ニューロ D1 導入投与に相当、 あるいは同等以上の修復事例があります(2013年)。統合失調症、パーキンソン病、筋ジスなどなど多くの修復ジレを蓄積しています(拙著参照)。

BIO-IT処置とは何かをもうお分かりでしょう。ウイルスの遺伝子から得た情報を人工細胞内水に転写し、服用、塗布による人体への情報転写です。さらに磁気デバイスで照射の併用もあります。

ヒトにおける情報伝達方式はシグナル伝達(生体内または細胞において、ホルモン、酵素、タンパク質などの情報伝達を担う分子が血流や細胞質を通じて運ばれ、対応する組織・器官などにはたらきかける過程)です。BIO-IT処置における伝達方式は磁気伝達ではなく、 電磁波 (テラヘルツ帯周波数)伝達と考えています。また、記憶方式は磁気記憶ではなく、テラヘルツ波記憶と考えています。

BIO-IT処置のよる反応が瞬間的であることを検証する実験研究をおこないました。人工細胞内水をスライドグラスに塗布し、即、洗浄します。瞬間的に人工細胞内水の物性をスライド記憶します。スライドを手にすると指の筋力が増強することが確認されました(資料参照:第90回BIO-ITの理論と実際)。

 

(5)コロナ制圧実用化は

BIO-IT技術はコロナの遺伝子のはたらき (物性) を記憶する技術です。医学者や生命科学者には常識外で、奇想天外なことです。信じられないのは当然でしょうか。水が記憶するはずがない。パイウオターはニセ科学、情報記憶は電磁波(テラヘルツ帯)の仮定ですが、両者とも悪徳商売であたまからけぎらいされます。また、コロナ制圧の事例はあまりにも少数で、かつ第3の専門家よる臨床研究がないことです。

弊法人は自力で臨床研究はできませんので、資料を添えて、委託または共同研究の協力を要請してきました。しかし、笛吹けど踊らず、笛の音が雑音に感じるのでしょうか。協力者組織は未だ有りません。ある高名な医学者から、けぎらいどころか、この研究は医療機器等法に触れる可能性があり、農業に集中しなさいと忠告されたこともあります。臨床研究ではなく、ウイルス研究者による体外のコロナの活性制御実験研究の依頼も同様、実現していません。

コロナの発信情報を転写したメモリーシートを手にしたときの脳の反応、および転写した人工細胞内水を手にした脳の反応をしらべる感性実験があります。この実験から、コロナの後遺症の起因解明と改善法を考えています。この実験で、人工細胞内水に含む2価3価鉄塩の濃度による感性の違いがあり、同調濃度と呼んでいます。実際に服用による体内の濃度と実験結果は一致しています。同時にこの情報伝達がテラヘルツ波伝達の証左になっています。

現在、コロナの制圧実用化は活性制御実験が早道であろうと考えています。

 

2)内・外因性疾病・難病に挑戦

(1)発信情報の調査

内因性疾病の起因である異常タンパク質の存否を、磁気デバイスを使って微量の血液で調べます。反転場で転写した人工細胞内水を手にすると指の力が高まります (感性検査) また、患部からも調べます。ケガや火傷などの外因性疾病も同様です。

 

(2)BIO-IT処置事例

会員の大半が難病や重症化した方です(資料参照)

 

(3)高齢者疾病:認知症などに

高齢者 (3千6百万人) 疾患の最多が認知症 (5人に1人) で、脳卒中、衰弱、骨折・転倒です。認知症会員のBIO-IT処置は10数回ほどですが、大半が即、意識・行動の大幅改善がみられています。車椅子の方が、自力でトイレへという感動例もあります。

心身の異常に悩む状態から、少しでも改善を見にしたときの喜びは大きな灯火になります。BIO-IT処置は高価薬、一般治療薬・治療処置とは比較にならないほど安価で、かつ化学薬剤という異物を一切使っていませんので、留意するような副作用、副反応は報告されていません。

国の社会保障費(医療費41兆、年金59兆、福祉ほか32兆円)は130兆円に達しています。BIO-IT処置の普及は国の財政負担だけでなく、国民の個人負担軽減に大きく寄与すると考えらえます。

 

3)私の願望

(1)BIO―IT技術の伝承

この技術は個人的な側面が多いのですが、長年の定例研究会に「BIO-ITの理論と実際」に書き残しています。しかし、マル秘のノウハウなどを伝承する組織的な母体はありません。この組織作りが最大の願望であり、加えて、普及の付属医療組織も含まれます。このための資金の寄付ないしはベンチャー投資を待っています。

ウイルスの遺伝子や疾病状態が発信する情報の記録は、世界初の「物性の記録」です。この新技術の用途は社会経済面に止まれず、生物学のイノベーションにつながると考えています。奮ってご支援下さい。

 

(2)夢のまた夢(努)

☆情報薬は世界にはこの概念すらありませんが会員は使っています。近未来の努です。

☆情報導入によるダイレクトリプログラミング(前述参照)で眼の難病の修復事例があります。iPS療法(細胞の初期化、意図する細胞・組織・器官の再生)に次ぐ近未来の努です。

☆健康寿命の延長、身体と脳の若返りにテロメアーゼの制御です。近未来の努です。現在、私自身で試行中ですが方法はマル秘です。近未来の努?

☆大トロ霜降り肉の刺し身培養幹細胞の増殖加速です。近未来の努です。

☆ガン細胞は機能をもたない細胞です。ex,肺ガン細胞に肺機能の遺伝子機能を導入します。遺伝子情報の伝達です。遠未来の努です。

 

おわりに

プレバトをいつも見ています。11/17の俳句の題は神宮外苑のイチョウでした。雲晴れた青空のイチョウを思い、生まれて初めての挑戦です。

ちじれ雲

早うエンジェル

ウクライナ

以上

BIO-IT技術開発者


理事長の市村武美です。

1957年東北大学院農学研究科博士課程修了、農水省研究機関勤務、マルハニチロ(株)(旧大洋漁業)主管研究員、沖縄海洋博アクアポリス館長を経て、「生命と水」の研究に専心。「人工生命水」を開発、つづいて独創的な『BIO-IT:生命情報伝達記憶技術』を確立。

薬剤を使わず免疫力を強化し、一方では、ウイルスなど病原体の働きを制御することに成功。

その理論と実証研究をまとめた「BSE・凶悪ウイルスに勝つ」を出版、分子生物学から電子・量子生物学への進展切り口として関係学会に大きな反響を呼んだ。

現在、感染症諸難病の予防治療や安全安心無農薬無添加食品生産などの研究に挑戦。BIO-ITは特許第 4183800 号。

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